この一件は全国に波紋を広げ、教育委員会会議が「要請撤回」を決めて決着しました。地元紙の山陰中央新報は8月28日(水)より「ゲンの波紋」と題して8回シリーズのインタビュー(1回につき1人)を掲載したので、一部ご紹介したいと思います。まず第1回目は作者・中沢啓治氏の妻、中沢ミサヨさんが登場。「恐ろしくない戦争はない」という見出しが一言ですべてを語っていると思います。これは市教委が「描写の残酷さ」を閲覧制限の理由にしたことに対するミサヨさんの言葉で、「恐ろしくない戦争などあり得るのか。戦争とは、原爆とはきれいなものではない。夫は自身が被爆しながら膨大な資料を調べて描いた。一部だけを切り取らず、夫の真意をわかってほしい。(後略)」とあり、また記憶の風化について「先生も戦後生まれ。戦争を体験してない人がどうやって戦争を伝えるのか。資料や文章で子どもたちが戦争の悲惨さを理解できるだろうか。漫画だからこそ表現できることがある。」というコメントにも頷いてしまいます。
第2回目は松江市原爆被爆者協議会会長の小林敏雄さんで、見出しは「戦争なくすために教える」。閲覧制限について「戦争のことを自由に勉強する子どもの権利をもぎ取る行為だ。人の首を切るなど過激な描写を理由にしていたが、実際の戦争や原爆はもっと悲惨で残虐。」というコメントは被爆者だからこそ言えることでしょう。この方は89歳。「絶対に戦争はあってはならないと伝えたい。話し合わないから戦争は起きた。今回の問題も戦争体験者を含め、たくさんの人たちと話し合っていれば起きなかった。『ゲン』の描写に対する意見や歴史認識が違えば、話し合うしかない。いつか私のような生き証人はいなくなり、直接戦争の話をすることができなくなる。そのときに日本がどうなっているのか、非常に心配している」…私達戦後世代がしっかり受け止めるべき被爆者の「遺言」だと思います。
第6回の慶応大学教授・片山義博氏は言わずと知れた前鳥取県知事で元総務相。市教委の形骸化を指摘し、「教育委員会が機能しておらず、欠陥が凝縮された悪い見本だ。これほど重要な判断を制度上、補助員であり権限のない事務局幹部で勝手に決めるとは身の程知らず。蚊帳の外に置かれた教育委員も恥ずかしいと思わなければ駄目だ。」、「市教委の事務局や学校は一種の“教育ムラ”だ。外部から見れば非常識で、かばい合いや独り善がりな部分がある。」と厳しくコメント。おっしゃる通りです。
一部しかご紹介できませんでしたが、今回の問題を総括した地元紙の連載記事はよくまとまっていました。私が感じたことは、まず戦争の描写は残酷で当たり前であり、きれいに描いたら逆に問題だということ。留学先でマスコミを専攻し、「メディアと暴力」というテーマを扱ったことを今回思い出しました。これは、人を殺戮するゲーム機器が若者に及ぼす影響、と言ったらわかりやすいかと思います。以前、殺人の動機について「人を殺してみたかった。」と証言して社会に衝撃を与えた少年がいました。血を見ることもなく、ボタン1つで人間が死んだり、はたまた生き還ることこそ非現実的であり、「描写の残酷さ」より罪深いのではないかと私は思います。イラク戦争の映像を観ながら「テレビゲーム」のような不思議さを感じたこと、ボタン戦争になればなるほど、戦争の悲惨さや怖さに対して現代人が鈍感になるのではないかと危惧しています。そういう意味で、テーマが戦争や原爆である以上、「描写の残酷さ」は小学生に対してもそのままでよいと思います。
ちなみに私の例をお話します。私は松江市内の小学校ではありませんが、公立に通い、「はだしのゲン」は図書室ではなく学級図書として教室の後ろにありました。つまりいつでも手に取れるところにあり、しょっちゅうクラスの誰かが借りていました。私も最初の数巻は読みましたが、誰かがいつも借りていて待つのが面倒臭くなったのと、思ったよりシリーズが長かったので、途中で読むのをやめてしまいました。首を切る描写は覚えていませんが、原爆投下直後の悲惨な描写はよく覚えています。言えることは、子供側に選択権があり、気持ち悪ければそのページをとばすこともできるし、途中でやめることもできます。いつか思い出して続きを読むこともあるでしょうし、子供に知るきっかけは与えるべきだと思います。