6月22日(金)
夕方の便で米子空港へ移動。(最近、出雲便が満席で取れません。)松江市に移動して今月開店した「炭火焼き 寺町の山芳」(コーヒーブレーク参照)に行きました。この日は松江市内に宿泊。
6月23日(土)
今回の目的は、昨夏行き損ねた隠岐の海士町に行くこと。1年前の7月、父と一緒に行くはずだったところ、直前に日曜討論が入ってきて私だけ諦めたのです。以前から名古屋の友人と海士町を訪問する計画もしていたので、週末日程が立てやすくなった今、一緒に行くことにしました。境港で名古屋の友人と合流。水木しげるロードを歩いていたら、なんと鬼太郎と遭遇し、ツーショットで記念写真。何度かここには来ているけれど、鬼太郎に出くわしたのは初めてです。これまで県内を歩いていてテンピー、雲太くん、出雲ちゃん(地元の活動報告参照)、しまねっこ(地元の活動報告参照)、に偶然出会いました。私、ゆるキャラ遭遇率、高いかも…。
さて、高速船レインボーで別府港を経由し、午後2時過ぎに海士町に到着。そのままCAS凍結センターに直行しました。休業日でしたが見学だけさせてもらいました。CASという技術については通訳時代に視察し、思い入れがあるので(地元の活動報告参照)、海士町で活用されている様子を是非見たかったのです。
山内道雄町長が思い切って購入したCASのおかげで地元漁業者の手取りが約3倍になり、雇用も生まれ、株式会社ふるさと海士は明らかな成果を示しています。漁業者に対して一定の買い取り価格を保証し、加工場が休みの時は漁業も休みというライフスタイルが可能になったことは画期的だと思います。民間企業ではなく公的企業ができることは、まさにこれなのでしょう。民間であれば漁業者から安く買い叩いて利益を上げるところですが、それをしない代わりに多少のマージンを取り、買い取り価格の原資にしているのです。共同体で支え合って皆が生きていく仕組み、そのモデルがここにあると思います。
CASを見学した後は脇谷商店の新店舗を見学しました。ここの後継ぎ息子が私の秘書というか、もともと父の事務所で一緒に働いていたのです。パソコン好きなのは知っていたけど、地元の高校生が遊べるようにスクリーンを4つ合わせ、大画面でゲームをしたりグーグルマップで遊べるようにシステムを完成させていたのには驚きました。ゲームセンターがない島において、この文具店の一角は最先端の貴重なスペースだと思います。
この後、株式会社巡の環に向かう道中、道路標識前で記念撮影。海士町には「こども議会」という取り組みがあり、町長が小学生の質問や要望に応えます。その際、道路を横断するカニが交通事故に遭わないように標識を立ててほしいという要望があり、それで設置されたのが写真の看板です。子供の学習用に島に1ヶ所だけ信号があり、その近くに設置されています。海士町らしくて微笑ましく、私はこの場所が大好きなのです。
さて、株式会社巡の環に到着し、Iターンして起業した阿部裕志さんを交えて白熱したディスカッションが始まりました。私の名古屋の友人は阿部さんと知り合いなのです。友人も教育関係のNPOを起業しており、話が盛り上がりました。海士町は「よそ者、若者、バカ者」を積極的に受け入れている活気のある島で、廃校の危機にあった島前高校は1クラスから2クラス化にこぎつけました。島前高校には「流学日記」の著者、岩本悠さん(地元の活動報告参照)が勤めており、阿部さんのIターンは岩本さんの影響があるようです。
この後、マリンポート海士にチェックインし、夜は後援会や郵便局の皆様と会食。充実した1日でした。
6月24日(日)
午前中は中央図書館内の一室で地元の青年と意見交換。その後、港近くの隠岐牛店で昼食を摂り、船を待ちながらショッピング。島のハーブティー「ふくぎ茶」と海士乃塩を買いました。ふくぎ茶は麦茶代わりに出されて前日から飲んでいるうちに、すっかり飲み慣れてしまいました。内航船を乗り継いでレインボーで七類港に向かい、ここから松江市に移動して、「松江珈琲館湖北店」(コーヒーブレーク参照)で市内の友人と合流。名古屋の友人と松江の友人と私の3人は、内閣府「世界青年の船」の同期なのです。しばし同窓会を楽しみ、名古屋の友達はJR、私は出雲空港から帰りました。地元活動というよりプライベート充実の楽しい週末でした。