4月7日(土)
離党して初めての週末なので、午前便で飛んでまずは出雲空港へ。東部の後援会の方々に今回の経緯を説明し、その後、益田市に向かいました。車で3時間はかかるので、到着したのは夕方です。一度自宅に寄り、西部後援会の幹部の皆様には益田事務所にて食事をしながらご説明しました。離党については前日(4月6日)に即断したので、後援会の皆様には相談も予告もなく、事後報告になってしまいました。組織や団体ではなく、個人後援会のありがたいところは本当にこういう時なのです。変わらずに応援していただけること、色々ご心配いただいたり情報をいただいたりして、元気が出ました。
益田市の自宅は川沿いにあり、土手の桜並木が予想外に満開で夜桜が美しく感動しました。「桜が咲く頃…。」というのは亀井静香氏が新党を予告する意味深発言に用いていたのですが、まさか私が国民新党を離党するとは思っていなかったので、今年の桜は忘れられない桜になりそうです。
4月8日(日)
10時から再び益田事務所で後援会の方々、昨晩よりもう少し拡げたメンバーにお集まりいただき、今回の経緯の説明、意見交換を行いました。会合の後、不思議な出来事を教えてもらいました。水曜日の夜、爆弾低気圧がやってきて益田事務所の「国民新党」の看板を吹き飛ばしたのだそうです。木曜日朝、事務所と隣の塀の間に看板が落ちていて、それを軽トラでようやく運び出し、その翌日に私が離党したのです。というわけで、看板の一つは勝手に爆弾低気圧が処分してくれたので、楽になりました。もう一つ正面看板の一部に「国民新党」の文字が入っているので、これをどう隠そうかと相談してきました。それにしても爆弾低気圧の話、不思議です。
益田市を後にして津和野に向かい、「道の駅 津和野温泉 なごみの里」で昼食。以前から興味のあった「来ら丼」(コーヒーブレーク参照)を初めて食べました。
そして徒歩で鷲原八幡宮へ。この日、私は気分転換に流鏑馬を見たかったのです。全長270メートルの馬場というのは日本一だと今回初めて知りました。つまり鎌倉や日光など、各地で流鏑馬を行うところはありますが、迫力ある流鏑馬を見たければ、ここ津和野が一番なのです。外国人が多いなあ、と会場を歩きながら思っていたら、なんと岩国基地からバス1台で米軍兵や家族が押しかけていました。確かに馬から弓を引く姿は基地の米国人が好みそうですよね…。
他の神社の流鏑馬はよく知りませんが、津和野の流鏑馬はかなりスピードが速いです。昔は馬ももう少し遅かったようですが、現在は競走馬のようなサラブレッドが颯爽と駆け抜けるので、目が慣れないと目の前を「ぶんっ!!」と通り過ぎる感じで、弓を引いているところなんてよく見えません。最初は馬が通り過ぎた後に矢が落ちている…という印象でしたが、だんだん見えるようになってきて、それが楽しいのです。的は鷲原八幡宮の場合、3ヶ所あります。つまり射手は三度弓を引くわけで、仮にタイミングがずれて間に合わなくても、その矢は捨てて次の的には新しい弓を引かなければなりません。四角い木の的に命中した時は、「パーン!!」と音がして的が一部欠けたり、見事に2つに割れたりします。こういう時は感動します。でもこれは、本当に馬が速いので至難の技で、的に3回命中したら神業だと思います。私が見ていた限り、2枚命中で大成功だと思いました。ちなみに鷲原八幡宮の流鏑馬は小笠原流で、最後の射手は宗家の方でした。2枚命中で流石でした。今年はちょうど境内の桜が満開で美しく、津和野は日本の伝統を肌で感じられる素晴らしい町だと思います。神社では皆様から温かく声をかけていただき、この週末帰ってきて本当によかったと思いました。
流鏑馬の後は、お墓参りに行きました。流鏑馬の的の後ろにある横断幕の家紋を見たら、やっぱりご先祖様にも報告に行こうと思いました。すぐ近くの裏山に登ってお墓参りをした後は、少し時間があったので「沙羅の木」(コーヒーブレーク参照)でコーヒーブレーク。それから隣県の山口宇部空港に向かいました。心機一転、気分が一新された週末でした。