活動報告(ブログ)

2012年2月15日(水)共生社会・地域活性化に関する調査会質問議事録

共生社会・地域活性化に関する調査

☆議事録☆
亀井亜紀子委員
亀井でございます。

今村参考人から順番に、平野参考人、牧野参考人という順番でお聞きしたいと思います。

今、島根県の事例出ましたけれども、島根県選出の議員です。そして、一番高齢者が多い県に今なっております。沖縄ではなくて、確か島根になっておりますけれども。元気なお年寄りが非常に多くて、あんまり70ぐらいだとお年寄りと言っていられないような県でありまして、この人達をどう活用していくか、いかに若者と交流させていくかというのが一つの課題であり、また光でもあり、それに取り組んでいる一つの事例だと思います。

はじめに今村参考人にお伺いしたいのは、斜めの関係が足りないということを先程プレゼンテーションでおっしゃったんですけれども、私、自分のことを振り返ってみて、そんなに斜めの関係があっただろうかとちょっと疑問に思ったんですね。

つまり、親との関係ですとかクラブ活動の上下というのは縦の関係で、同級生など友達は横の関係で、じゃ、近所のおじさん、おばさんとそんなに接してきたかというと、そうでもないわけですよ。パン屋さんとかよく行くお店の人はいるにしてもですよ、そこから何か、職業選択とか人生について何か聞いたり参考になったかといったら、そういうことではないんですね。

そうすると私は本当に欠けているのは、もしかすると先程縦の関係もないとおっしゃいましたけれども、友達はいるのに通り一遍のことしか話してないんじゃないだろうかと思うんです。カタリ場の風景見せていただいて、私は友達が、あるいはクラスルームがあって同世代の子がいっぱいいるのに、そこに外から大人が入ってきて色々話題を与えて掻き回してあげないと、子供達同士が話ができなくなったのというふうにちょっと見えたんですね。そういう問題は感じられないのか。

また群れない子供というのは昔からいます。その人達が悪いか、クラブ活動に入らないのが悪いかといったらそんなことはなくて、その人がちょっと変わり者であっても、例えば誰かの伝記読みました、何かの本に触発されて黙々と何か一生懸命一つのことをやっていて何か立派な人になることもありますから、群れないということも私は別に悪いと思ってないんですけれども、例えば本を読まなくなってて何にも動機付けにならないとか、そういうような問題はないんでしょうか。

今村久美参考人
そうですね、きっと多分にあると思います。

私自身も岐阜の山奥、飛騨高山から来てますので、斜めの関係がじゃあったのかと言われると、逆に斜めの関係が深い分、何かリスクを取れない感じとか、隣近所の人がみんな見てるからチャレンジできない風景とか、それと似たものが学校教育の中にもあるようにも思いますし、じゃ、コミュニケーションが厚ければそこからいろんなチャレンジが生まれるのかというと、一概に言えないというのもわかります。また大人にそんなに、じゃ、相談していたのかというと、私も別にしてなかったというのもあるんですけれども、それによって救われる子もいるというのが一つあるかなというのがカタリ場の提言なんですけれども。

同世代のコミュニケーションに、何か生産的な会話とか心から話せる友達を見付けづらくなっているんじゃないかというところの側面は一つあるかもしれないと思っているのは、やっぱり子供達にとって今もう、これはもうあらがえない事実として、一番のコミュニケーションツールになっているのはやっぱり携帯電話なのは確かなことです。私達が、大人達が想像する以上に子供達の検索能力は上がっていて、物は知らないかもしれないけどたくさん検索はできるようになってはいるんですけれども。

やっぱりこれは一つの事例なんですが、アバターというものはわかりますか、アバターを、とある例えばSNS的なものに参加する時に、フェイスブックのように実名で参加するものもあるんですけれども、多くの子供達が参加しているSNSはアバターを使って偽名を、偽名というかニックネームを付けて本名がわからない状態で参加しています。子供達に聞いてみると、自分がそこに参加して、そのキャラを演出して、そのキャラとして発言していることはクラスの友達には言ってないということを言っている子は結構いて、フェイスブックのように友達と、知っている人と、リアルに知っている人と繋がり合うものではなくて、他の友達に見られたくないコミュニケーションこそを自己表現できる場にもSNSは一つの活用事例として使われているのは事実なんですね。

そういう意味でも、カタリ場の授業で子供達と接している時に、携帯をいじっている子がクラスには友達がいないけれども遠くの人達と話していて、そこはすごくセグメンテーションされた、自分が話しやすい環境、趣味が一緒のどこかの友達と話しているという環境が、セーフティーネットとしても機能してはいるんですが、子供達のコミュニケーションの逃げ場としても使われているのは事実かなということは感じています。そういう意味でも、地域の大人達や地域のお兄さん、お姉さんと面と、顔と顔を向け合って、出会って話さなきゃいけない環境というのは一つ機能する、必要な環境なのかもしれないということは感じています。

亀井亜紀子委員
ありがとうございます。

平野参考人にお伺いしたいんですが、ただの人という言葉なんですが、ちょっと私、違和感を感じまして、平野参考人の世代というのは、会社とか何か組織に帰属をしていないと自分は役に立たなくてただの人であるというような考えに陥りやすいのかしらという気が致しまして、逆に今村参考人の世代というのは就職氷河期なのでただの人になる確率がすごく高いんですよね。ですから、あるいは入りたい会社がない中で、じゃ、自分で仕事をつくろうという世代なので、たぶんそんなにただの人という言葉に反応しないような気が私はするんです。

シニアの方のお考えというのは、やっぱりどこかに、何と言うんでしょうね、まずただの人というのは自分の経験したことをそのまま伝えられる場所が欲しいということなんですかね。そしてそれに収入は関係ないんですか。つまり収入関係なければ、例えばJICAのシニアボランティアじゃないですけれども、自分の技能を役立てるところ、日本になければ海外に出たいという人達がまずいますけれども、そうではなくて、やはり何かどこかに所属して今までやってきたことをそのまま、第二の人生求めるよりはそのまま伝える場が欲しいというようなことなんでしょうか。

それから、後まとめて質問をしてしまいますが、牧野参考人に対して、ラウンドアバウトについておもしろいと思いました。これ私、海外に住んでいた時に、カナダにいたんですけれども、だいたい旧英国連邦というのはラウンドアバウトが多いんです。これが危ないということで信号に変えようという政策をやっていたので、今その逆をされようということでおもしろいと思ったんですが、確かに田舎であればそんなに交通量がないのでラウンドアバウトの方がいいのかもしれません。これまだ実験ですからわからない段階でしょうけれども、危ないとかそういう話というのはあまり出てきてないでしょうか。究極のラウンドアバウトは私は凱旋門のところだと思います、パリの。いろんな方向から車が来て、ラウンドアバウトで車はボコボコなんですけれどね。やはりそういったこともちょっと想定しながら、どのようなフィードバックがあるのか教えてください。

平野茂夫参考人
お答え致します。

このサラリーマン会社辞めればただの人という川柳を聞いた時に、高齢者は国の宝ということをずいぶん昔は言っていたようですけれども、ここに宝がおるのに俺を使わない、俺はもう会社辞めたら消しゴムのように消してしまう、俺も寂しいし社会は何てアホなんだろうなというふうなことなのかな、慨嘆しているんですね。

それでうちの会社の集まった方の働きを見ますと、うちの会社はあまり残業代を払うお金も、収入があまりありませんから、賃金も払えない。それを8時や9時までやっているんですよ。それで労働基準法違反になりますから早く帰ってください。いやいや、僕これやってしまいたいから。労働基準法関係ありません。つまり人生意気に感ずるという、そういう働き方を高齢者はするわけですよ。じゃ、お金は全然いらないかということじゃないにしても、どっちかということになりますと、当時60歳から年金が出始めましたから、当時はむしろ僕は僕の能力や僕の生き様というものを社会に主張したいという、そういう熱い思いですね、本当に人生意気に感ずという。ですからお金いらなくてずっと働いているんです。奥さんにパーティーの時に申し上げたら、ご主人様遅くまでと。いや、うちの主人は非常に喜んでおりますと、遅くまで働かせていただいてありがとうございますと言うから、私も空調代がもったいないから早く帰ってくださいと。

ですからこれ、先程申し上げましたように、地域や業界やなんかで私どものような会社をつくっていただいて高齢者の力を引き出していただく。その時に、あなたはとっても大切な人だ、あなたの誇り、それを称えるという、こういうことになれば、お金がいらないから俺は働くぜって、こういうことですよね。案外そんなもんじゃないですか。そこをやっぱりはっきりと打ち出していかないと、年金がどうだというだけで、年金があるいはそういうものがすべての仕組みが整ったって、やっぱり幸福じゃないんですよね。むしろ寝てる子を起こして拍手をしてあげるという、こういうことが大切だと思いますし、収入は適切な収入があればいいと思います。

牧野光朗参考人
東日本大震災、それから福島の原発事故があった後に計画停電があった地域におきましては、信号機が消える交差点におきまして大変危険な状況が生じたということがあったわけでありますが、ラウンドアバウトはそうした中におきまして、まさに信号機がなくても機能する交差点として、欧米でも今見直しが進んできているということではないかと思います。

先程凱旋門の例が出ましたが、ラウンドアバウトの定義は、中に入っている車が優先なんですね。ですから車が中に入っている状況の中では必ず一旦停止ということになりますので、凱旋門は実は進入する車が優先なんで先生のおっしゃるようにボコボコの話になるので、あれは厳密にはラウンドアバウトとは定義されないそうです。これは国際交通安全学会の先生からお聞きしました。

飯田はちゃんとそういう意味では、中に入っている車が優先になります。実際に死亡事故とか起きた例はございません。真ん中に島がありますので必ずみんなスピードを落としていきますので、そういう意味ではやはり安全で、また信号機で待っている間に空吹かしするとかそういうことはございませんので、エコな交差点であると、そういうふうに考えられていまして、震災後も新たな交差点政策としてこうしたラウンドアバウトも、まさに交通量があまり多いところではいかぬかと思いますが、そうした地方におきましてこういったものが採用されていけばというふうに私も思っておるところであります。

亀井亜紀子委員
ありがとうございます。

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