昨年10月、東日本大震災復興特別委員会の重要事項調査派遣議員として、アメリカ合衆国のスリーマイル島原子力発電所を視察しました。全行程は10日(月)から15日(土)までの6日間でしたが、視察自体が出発の1週間前に急遽決定し、私は日本女性会議のパネリストをかなり前から引き受けていたので、現地2泊の途中離脱で帰国しました。中国や韓国ならまだしも、アメリカまで行って2泊で戻るというのは初めての経験で、これはフライトクルーの日程と一緒なのです。つまり行き帰りとも同じ機長やキャビンアテンダントのお世話になったわけで、不思議な感じでした。
スリーマイル原発というのは名前だけは有名ですが、アメリカのどこにあるかご存知でしょうか?実は私もよく知らなくて、今回派遣が決まってから地図を広げて調べました。スリーマイル島はアメリカ東部ペンシルバニア州サスケハナ川の中州にあります。首都ワシントンから車で3時間ほど走ったところなので、私達超党派の視察団は成田からワシントンD.C.に飛びました。
10月10日(月)
移動日。成田空港を出発し、同日ワシントンD.C.到着。ホテルにチェックインし、日本大使館担当者の方々と夕食。
10月11日(火)
朝8時にホテルを出発し、10時頃スリーマイル島原子力発電所に到着。
スリーマイル島原発は1979年、2号機において炉心溶融を伴う事故を起こし、32年経った現在でも2号機(原子炉)は保管状態、つまり近付けない状態にあります。事故後、周到な準備を経て1985年から1990年まで5年間かけて燃料を取り出し、廃炉は現在稼働中の1号機と合わせて2034年に開始するそうです。一度事故が起きると事故処理までいかに長期間要するのか、改めて実感しました。
私達が視察したのは2号機のタービン建屋と事故発生当時のまま保管されている中央制御室であり、これは原子炉から少し離れたところにあります。スリーマイル島原発の経験を福島の事故に活かせるとしたら、いかにして原子炉から燃料を取り出すか、という方法論の部分ではないかと思います。除染についてはスリーマイル島原発の場合、周辺住民が長期間避難するほどの被害に至らなかったので経験もなく、参考にならないと思いました。また2号機というのは完成したばかりの新しい原子炉だったそうで、古い原発は危険性が高く、新しいものほど安全、という私の考えは吹っ飛んでしまいました。結局人災の場合、原子炉の新旧は関係ないのです。
午後は原発からほど近い建物に移動し、2号機を管理しているファーストエナジー・ニュークリア・オペレーティングカンパニーから説明を受け、意見交換を行いました。この日は再び3時間かけてワシントンD.C.に戻り、1日が終わりました。
10月12日(水)
視察団一行はまず米国原子力規制委員会を訪問しました。私は説明の途中で退席して空港に直行したので、この後の報告は帰国後、委員会に提出された正式な報告書をご紹介致します。今回は本当に視察の一部分しか参加できませんでしたが、それでもスリーマイル島原発を自分の目で見る機会を得たのは貴重な体験でした。