武蔵坊弁慶が京都の五条大橋で源義経と出会い、生涯義経に仕えたことや、比叡山で修行したことは一般に語られていますが、それ以前はどこで過ごしていたのでしょうか。
実は弁慶は松江市の本庄で生まれ、平田(出雲市)の鰐淵寺(がくえんじ)で修行した後、比叡山に向かったのです。島根県は出雲、石見、隠岐、の3地域に分かれており、それぞれ歴史が古いので、地域にはたくさんの逸話や伝承が残っています。
私は各地で茶話会(対話型の集会)を開いているのですが、政治ではなく歴史の話になることがしばしばあります。弁慶が本庄生まれだと知ったのは本庄地区の方々と交流するようになってからで、2年ほど前でした。奥ゆかしい島根県民は宣伝が苦手で、地域の方々が弁慶について発信し、地元メディアに取り上げられるようになったのは最近のことです。私も弁慶の足跡を辿り、今では史実として確信を持っています。現時点では島根県民でさえ、知らない人が多いと思います。
弁慶の母、弁吉(和歌山県田辺出身)が縁結び祈願をした出雲路幸神社(安来市)と鳥居横の弁慶腰掛岩、弁吉と弁慶が出会った長見神社(松江市)、弁慶が剣術等を学んだ弁慶島(松江市)、鰐淵寺境内の弁慶が持ち帰った銅鐘等々、弁慶の足跡は松江市、安来市、出雲市(旧出雲国)に点在しています。鰐淵寺の銅鐘は大山寺(大山山中に所在)から弁慶が一晩で持ち帰ったと伝えられており、竿の前に提灯、後ろに銅鐘を下げて歩いたことから「提灯に釣鐘」の由来であるとのことです。